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【とあるAT(アスレティックトレーナー)の経歴紹介】(その①)
はじめに
まいどです。
アスレティックトレーナーの田子です。
今回ブログを本格的に始めてみてずっと書きたかったことをしたためてみたいと思います。
なんだかタイトルが某ライトノベルみたいになってしましたが
(この際仕様だと思って経歴紹介はルビで『バックグラウンド』と呼んでほしいですw)
読みやすさ重視で行きたいと思いますので適当な長さで一度切って連載にしていきます。
これからトレーナーを目指す若い方や
トレーナー田子に単純に興味のあるニッチな方々(笑)
に是非見て頂ければ幸いです。
因みに,今回はこんな感じの見出しでいきたいと思います。
1. 田子がトレーナーを目指すようになったわけ
2. 専門学校はガリ勉層でないと淘汰される!?
3. なんでもやってみるということ
多分毎回3つくらいのテーマで書いていく予定です!
1.田子がトレーナーを目指すようになったわけ
そもそも,『トレーナー』ってひとえに言っても各々様々なイメージがあると思います。
日本国内では多種多様な業態の”トレーナーさん”がいて、トレーナーって○○する人だよね!というのを正確に説明できる人は(業界の中でも)実は少ないのではないかと思います。
(尚,業種としての『トレーナー』の私なりの解説はまた後日別投稿したいと思います☺)
例によって私もそんな感じで、ハッキリと「トレーナー」という言葉を知った高校生くらいではなんとなく『競技選手のサポートをする人』『トレーニングを教える人』『マッサージ・テーピングをする人』のどれかだったような気がします。
当時……(まあ今もなんですが(笑)私は陸上競技に打ち込んでいたのですが,中学校時代には指導者不足・高校時代はケガが多く,これから将来を考えていく上で【自分のような人を減らしたい】と考える様になっていました。
実は高校在学時は芸術科目を専攻しており一時期本気でイラスト・デザイン系のガッコに進学を考えていた時期がありました……笑
高校3年生の進路決めの際は,それなりの大学へ指定校推薦が取れる学力(評定平均が4.1/5あったので多分MARCHくらいはいけた…ハズ)を有していましたが、最終的には大学ではなく,卒業時に多くの資格が取得できる専門学校への進学を決意しました。
2.専門学校はガリ勉層でないと淘汰される!?
そんな訳で,2006年4月には日本工学院八王子専門学校,当時の学科名で健康スポーツ科学科 スポーツトレーナーコースに入学しました。
当時は2年制の学科しかなく,2年間で各種資格と卒業前には就職活動などもしなくてはならないというカリキュラムです。
当然,卒業するだけならまだしも資格取得のためにはあらゆる科目を履修しないと卒業時に試験が受けれないので単位落とした瞬間入学した意味が消えるというオワタ式 という図式が成り立ちます。
また,資格取得のための科目をすべて履修していくとあれよあれよという間に月曜日から土曜日までケツカッチン(古)に授業が埋まり,後述の実習とアルバイトの予定を入れると 週7ノンストップで稼働し続ける というブラック企業もビックリの予定帳が完成しました。
(実際は授業の空き時間などもあり,結果的に何とか耐えきりましたが……(-_-;))
で,スポーツトレーナーコースに入学した学生の多くは、当然資格取得のためにほとんどの生徒が同じカリキュラムで四年生大学より多めなコマ数の授業を受け始めました。
ところが,皆さまの予想通り出てくるわけですね………脱落者が。
大体1年生の前期で,大学に行くとこがなくて来たような連中の大半が消えます。
もしくは大学中退してきた様な連中。
んで,授業にあまり出席せず,資格取得が出来なくなった瞬間在学の意味がなくなって消える人も多くいました。
(どちらかというとトレーナーコースよりももう一方のメディカルフィットネスコース(当時名称)の方が多い様子でしたが…1年次終了時点で我々のコースにも多発しました)
後は単純にモチベーションが無くなっていく学生も多くいます。
というのも,特にウチのガッコは当時『成績優秀者から順に実習をあてがわれる』というシステムをとっていたから。
つまり,より学習意欲の高い生徒に良い学習環境を与えられるという感じだったんですね。
(言い方が悪いかもしれませんが,学生を外に出す以上一定の厳選が必要だったわけです)
事前に知っていた訳ではありませんでしたが,それなりにスタート時点で人より『トレーナーになりたい』という想いがあった私は,前期の試験結果をほぼトップで通過できたため,夏からは社会人アメフトのトップリーグ(X-1)で活動しているチームのインターンを勝ち取ることが出来ました。
順に,成績優秀だった生徒には高校・大学・実業団ラグビーやサッカーチームの実習を与えられ,
あっという間に 【実習先がある組/ない組】 の層が二極化していくことになります。
こうなってくるといよいよ学習意欲の高い(低い)での授業への取り組みがどんどん変わっていきます。
いわゆる”アスレティックトレーナー”としての一番最初の活動は2006年アメフト日本一のチームとなった「オンワードスカイラークス(当時名称)」でのインターンでした。 ※一番右の小僧が私。
(もちろん,実習に行かずサークル活動や研究会などに力を入れた結果卒業後の進路が見つかった生徒もいます)
2年生次の受験対策講座の参加生徒は初期の1/3くらいになっていたと思います。
今思えば,学習を続けていくうちに新しい道が見つかったならまだしも,
同じ学費を払って通うなら資格取得のために一つでも多く授業に出るのは当然
という気持ちから,多くのキャリキュラムを受講しながら自分のなりたい『トレーナー像』を探っていくようになりました。
まぁ,多く授業に出た結果とんでもなく忙しくなったんですがねw
3.なんでもやってみるということ
これからトレーナーを目指す学生に『どんなことをすればいいですか?』質問された時に,大抵伝えるのは【なんでもやってみる】ということです。
当時から現在に至るまで,一見関係のないように思えても,『いつか役に立つことがあるかも』と思ったら極力やってみる,という事を大切にしていました。
入学直後ガッコにいたNATA公認アスレティックトレーナー(※)先生がたから,ATの役割やこれまでの活動を聞いた際には今まで私が『トレーナーの仕事』だと思っていたことはそのごく一部だと感じました。
※アメリカの公認トレーナーの資格です
また,NSCA協会の方から『ストレングス&コンディショニング』の定義を聞いた際は,強化(ストレングス)としての筋力トレーニングだけではなく,健康やスポーツへの継続参加のための”コンディショニング”のためのトレーニングでもある……という言葉が耳に残っています。
つまり,トレーナーの仕事の対象者は多岐に渡るし,その活動の幅は広く トレーナーは○○をする人 と簡単に定義できない仕事なのだと強く理解しました。
要するに,仕事としてトレーナーをするためには色々できた方がいいんだなぁと18歳に私は何となく自覚したんですね。
なので『私は○○になりたいから××だけやる』というのは,こと”トレーナー”という【多岐に渡って活動を行う業種】には通用しないのだと今でも思っています。
本当に あなたのやりたいトレーナー はその活動だけで足りますか?
ということに,自信を持って『足りてる』と言える学生は多分いないからです。
その結果,私自身が出した結論としては
① 受けれる授業はほとんど受ける(そして成績をとる)
② 出れる実習やセミナーはお金を払ってでも受ける
③ 外でもトレーナー活動をする(次回書きますw)
という行動原理を遵守した結果,授業では日本体育協会(当時)公認AT,NSCA公認パーソナルトレーナーのカリキュラムはもちろん,その他スポーツビジネス,バイオメカニクス,病理学なんかも受講しました。
1年生次に参加した海外研修の修了式にて。流石に分かると思いますが写真中央の小僧が私。
他にも,単位とは関連のない簡単なトレーニングインストラクター資格や,勇志参加の授業,講師が外部で行っているセミナーや他校との交流会なども参加させて頂き,多くのトレーナー・指導者の方々とも早くから知り合えたのも大きな経験でした。
また,1年生の6月にはアリゾナ州立大学への海外研修なんかも親に頼み込んで行かせて頂き,非常にモチベーションになったのを今でも覚えています。
こうして,ある程度決意を固めて専門学校時代を過ごしていきつつ,徐々にこれらの環境が私の今の礎になっていくお話しを次回していきたいと思います。
第二話は【こちら】