大和駅徒歩2分のパーソナルトレーニングジムVITALIZE

大和駅のパーソナルジムならVITALIZE!
大和市大和南1-4-10 KG大和ビル4F 大和駅より徒歩2分

ブログ

  • Array

【とあるAT(アスレティックトレーナー)の経歴紹介】(その②)

まいどです。
アスレティックトレーナーの田子です。

連載企画の第二話となります。
第1話は 【こちら】 から見れますので未読の方は読んでみてください。

前回トレーナーを目指して進学直後の話がメインでしたが,

今回はその続き
4. 転機はプール清掃
5. 対価をいただくということ
6. たった一人の最終決戦

の順でお話ししていきます。

4.転機はプール清掃

専門学校での学生生活も1年近くなった頃,半年間のアメフトチームの実習やスポーツプレックスジャパン社(当時。現在はコナミスポーツ社へ統合)への短期研修が終わったため,次の実習先があてがわれる予定でした。

しかし,結果的に私は学校からの実習を断ることにしました。

というのも,私は専門学校入学と同時に地元のフィットネスクラブ(リーヴ・スポーツ社(当時)現在はルネサンス社へ統合)でのアルバイトをしており,そこでの活動がトレーナー田子を創る礎になっていたからです。

最初こそ,基本的なジムでの接客(マシンなどの簡単な説明)やプール監視,清掃業務程度しかできず,加えて実習や授業数も多かったこともありそれほど積極的に勤務をしていた訳ではありませんでした。

ところが,業務にもいくつか当番の様なものがあり,私はプール清掃業務のリーダーを任されるようになりました。

この頃から,徐々に業務に対しての意見を出したり,自分なりに工夫するようになりました。

要するに,当事者意識が芽生え始めた訳ですね。

また,簡単なスタジオレッスン(ストレッチやバランスボールなどを使ったショートレッスン),
当時ではまだ珍しかった有料サービス(ペアストレッチや体力測定とトレーニングプログラムの作成)などの研修に合格し,出来る業務が増えてくるとこれがものすごくやりがいを感じる様になってくるわけです。

こういった流れの中で感じたことは,今思えば当たり前ですが 【最初からやりたい仕事なんかさせてもらえるわけない】 ということでした。

【基本業務が出来ないといい仕事はできない】とも言い換えられるでしょうか。
これは仕事をする上で今でも大切にしていることのひとつです。

つまり,お客さまへの挨拶や清掃,従業員間のコミュニケーションなど,トレーナーの主たる『運動指導』以外にも基本的な社会人スキルや,問題解決能力が備わっていないとやはり仕事は任せてもらえないという事を身をもって感じたわけです。

(挨拶なんかは特に徹底させられていまして(笑) 一人ひとりにきちんとすることで元々デカめの声だったこともありジムにいると結構な人が気づいて頂き多くのお客様に早くから顔と名前を憶えてもらえました。)

特にスポーツばっかりの学生生活だった子がトレーナーを目指す際は声を大にして言いたいことの一つです。


フィットネスクラブ リーヴ橋本店の2007年度男子メンバー。 因みに一部メンバーとは今でも度々会合があるほど仲良しです(笑) ※例によって写真中央の小僧が私。

運動指導は楽しい仕事なのですが……。

やっぱりそれに至るまでの基本動作が大事なのはそれこそスポーツと一緒かと思います。

そして,年度の終了前にパーソナルトレーニングサービスが可能になる社内研修に合格し,
学生にしてパーソナルトレーナー活動を「仕事として」開始することになりました。

そんな訳で,2年生次の私は学校での活動は授業(=ATと公認パーソナルトレーナーの受験対策など)に専念し,
ひたすらアルバイト先でパーソナルトレーナー活動に邁進する日々が始まることになったのでした。

5.対価をいただくということ

学校(学生として)の実習より,アルバイト先でのトレーナー活動を優先した理由はもう一つあります。

それは お金を頂いてトレーナー活動をすること を直に感じたかったからです。
どんなに学内の成績が優秀でも,実習では学生は『お客さん』,トレーナーの方は『職場』になります。

立場的には逆なんですよね。

学生が一生懸命やったとしても,責任を負わせて業務を行わせることは当然できないはずです。

フィットネスクラブでのアルバイトは,初めて「プロ(=賃金を頂く者)として」の自覚(責任)を持ってトレーナー現場に立つ,という点では学校では出来ない経験値を多大に得ることが出来たと思います。

今の自分の指導力にとてつもない影響を与えていると感じています。


20歳くらいで今くらいの体系に落ち着きました。まあ,今もバルクは細いんですが,トレーニングフォームと筋持久系をしっかりやっていたおかげで社内の体力テストをクリアすることができました。

その後,館内POPの掲示やイベントやキャンペーンの実施により多くの固定客を持てたこともあり,月間の個人の売り上げが正社員を含めた全社ランキングで度々ランクイン(最高3位),会社から表彰を受けたこともありました(めちゃくちゃ嬉しかったw)

また,フィジカルテストと言われるトレーニングフォームのチェックテスト,泳力のタイムトライアル(100m個人メドレー)を男性社員で初めて両方合格し,全社会議で話題に上がるほどになりました。

研修資料の改定や,他店への研修担当などもさせて頂き,学生アルバイトにしてはしゃしゃり出て色々仕事をさせて頂くことが出来ました。

この采配をした当時のチーフトレーナーにはマジで感謝しかありません。

やはり仕事として早くから実際にトレーニング指導をしていたことは,この後ATの実技試験で実を結ぶことになります。

6.たった一人の最終決戦

ドラゴンボ●ル好きな人なら一発で分かってしまう見出しですみませんorz

さて,そんな専門学校での生活も後半に差し掛かりました。
NSCA公認パーソナルトレーナーの試験を難なくパス受験者中最高点だったらしい(フンス)した後,
卒業単位や資格受験に必要カリキュラムをすべて消化した私たちはその年の12月に日本体育協会(当時)公認アスレティックトレーナーの筆記試験に挑むことになります。

実はこれがなかなか曲者で,2007年度から新カリキュラムとなり,教材や出題形式が刷新され我々がその1回生ということです。
要するに 既に合格済みの諸先輩がた・これまで数々の学生を合格に導いた先生がたの誰一人事前情報のない形で試験に挑まされた訳です。何その鬼畜プレイ

実際問題内容も初見殺しもいいところで,過去問よりも一癖も二癖もある問題が多くかなり苦戦しました。

結果,筆記試験を突破できたのはなんと私だけ という状況になり,学年全体は一気に敗戦ムードになりました(´・ω・`)オワタ…

何故私が筆記試験と突破できたかというと……

勝因は多分,先生の言う事を聞かなかったから に尽きると思います(当時は生意気でしたホントすみません)

いや,こればっかりは私に非はないと思うのですが,今回カリキュラムが変わった際に事前に新しいテキストを見た先生が『旧テキストと内容は大きく変わらない』と伝えたことで新テキスト(全9巻……お値段は……それなりにします。。)を買わずに受験勉強をした学生が続出。

私はというと何を感じ取ったのか『絶対に新テキストにしかない内容から出題される』と思い早々に全巻を揃え,
学校の受験対策講座とは別に独自に受験勉強を行っていました。

この頃はほとんど同級生と群れず,しかも実習にも行かないという こいつマジ言う事聞かねえな キャラが完全に確立してしまい非常に先生とも険悪な状態でした(笑)

という事で,たった一人で二次試験(実技試験)に挑むため,あとは卒業を控えるだけのムードになった同級生たちの中で,試験勉強を続けなければならないという非常にやりづれぇ……雰囲気で年明けを迎えました。

 

ところが,そんな私を最終的に助けてくれたのはこれらの同級生でした。

一人で黙々と勉強を続けていたところ,それを見ていた同級生が徐々に応援してくれる様になってきたんですね。

放課後テーピングの練習に付き合ってくれたり,リハビリトレーニングのモデルをしてくれたりしました。

そんな訳で,その年の3月に受けた実技試験は一発でパスできなかったものの,再試験で合格し,晴れてアスレティックトレーナー田子が爆誕したのでした。

確かに,私はいち学生としては協調性も無く,ギラギラ(笑)と自分のチカラを高めるために行動し続けることしかしませんでしたが,こうして少しずつ結果が出てきて,仲間が集まって来て最終的に良い形で2年間を過ごすことが出来ました。

専門学校卒業時に学年全員の前で登壇した際に言ったことは

いつかここにいるみんなと一緒に仕事がしたい

でした。
スポーツチームを運営し,トレーニングジムを設立した今こそ,その夢を叶えるチャンスが巡ってきたのかもしれません。


専門学校卒業式。当時お世話になった先生&同級生たち

……
あ,終わりません。
もうちょっとだけ続くんじゃよ。(これもまたDBネタですみません)

次回は陸上競技について書いていきます。

第三話は【こちら】

田子 政昌

-たご まさあき-

パーソナルトレーナー、ランニングコーチ、かけっこ・陸上教室事業の運営、執筆業、モデル業など、幅広く活動中。2020 年にパーソナルトレーニングジム VITALIZE を設立。誰にでも【 わかりやすい 】 そして 【 楽しい 】 レッスンを常に心がけ、子どもから高齢者、運動初心者から日本代表アスリートレベルまで幅広くトレーニング指導を行っている。