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【とあるAT(アスレティックトレーナー)の経歴紹介】(その④ 最終回)

まいどです。
アスレティックトレーナーの田子です。

連載企画の第四話(最終回)です。
これまでのお話は

【第一話】 【第二話】 【第三話】

からご覧ください☺

陸上競技を続けながらそれを活かしてトレーナーを目指しながらも,いよいよ学生生活を終え社会へと飛び出していきます。

学生時代に得た知識・ライセンス・経験をもとに初年度からバリバリ働いていたかというと。

 

実は

 

全ッ然……

 

全ッッッ然上手くいきませんでしたwww
(大事なことなので2回言いry)

 

という訳で今回はこんな感じです。

9. 挫折することは恥ずかしいことじゃない
10.  好きなことで生きていくということ
11. まとめ ~これから”トレーナー”になりたい人へ~

20代前半の頃を中心にどうやって現在に至ったかを例によってできるだけくだけながら(笑) 書いてみたいと思います。

9.挫折することは恥ずかしいことじゃない

前回ずいぶんな幕引きで〆たわけですが,何度も書いた通り社会人1年目はもう目も当てられないほどうまくいきませんでした。

最初に入社した青山のパーソナルジムは,筋力トレーニングというよりも若干ストレッチ寄り(初動負荷トレーニングに近い)のトレーニングを指導するマンツーマンジムでした。

立地もあり,オシャレでそれなりに所得のある女性のお客様が多く,高い接客スキルが求められました。

ところが,これまでと勝手の違うトレーニング指導方法に悪戦苦闘し,中々指導が上達しない(と言っても未だ入社2~3ヶ月でしたが……)日々が続き,上司から叱責をもらうことが多々ありました。

しまいに,当時の副店長から暴行を伴うパワハラ(!)を受けたことがきっかけで完全にメンタルブレイク\(^o^)/

社名は伏せますが今思えば被害届のひとつでも出しておけば良かったわ……ぐぬぬ

入社後わずか4ヶ月で退職することになりました。

 

当時の落ち込み様といったらそれまでの人生最大級なもんで。

収入も少なかったことから都内在住は諦め実家へ出戻りするはこびになりました。

『ああ,もうオレはトレーナー向いてない。
何か別の事を始めよう』

と思うほどに。
それだけ今までの自分に不信感が高かまっていました。

フィットネスクラブからお話しもありましたが,収入面との折り合いがつかず止め,
遂に別業種の転職を検討しました。

 

そこで挙がったのがスポーツ小売業

今や業界最大手となったゼビオ社(当時。現在はゼビオホールディングス社)の新店舗配属のスタッフ(契約社員)の求人見つけ,2010年8月からはみなとみらいにある店舗でランニング商材の販売に関わることになりました。

 

当時,日本国内は空前絶後のランニングブームでした。

各地にランニングステーションが出来,マラソン大会が乱立し,イベントやスクール開講が盛んに行われてた時期でした。

みなとみらい地区はそのロケーションも手伝ってか非常にランニング商材の需要が高く,
私の店舗内でも各メーカーの販促イベント(シューズやサプリメントを試用してもらい体感・購入促進する)が多く開催されました。

今はこういった『体験型』の小売り店舗が増えてきていますよね。(店舗内に運動スペースなんかも作ったり)
特に昨今ネット通販が増えてきているので小売業は実際に商品を手に取ってもらうことをとても重要視しています。

私は運動指導ができる+スポーツ店の店員としては一緒に動ける(走れる)人材だったのでランニングフォーム分析やイベントのガイドランナーなどでめちゃくちゃ稼働します。


ランニングインストラクター業が中心の時はお客さまとずいぶん走ってました。フルマラソンの自己ベストは何気に3時間台です☺

各メーカーの方からもお声かけ頂き,個人宛に仕事の案件が来るほどでした。

こうしたことから,徐々にランニング指導の仕事が増えてきて目途が立ったことで私はフリーランスでインストラクターを始めることを決意します。

同時に,大手フィットネスクラブへパーソナルトレーナー登録をして自分の最大の強み(陸上競技×トレーナー)を実現するに至りました。

ここまで約2年。

挫折感も味わいましたが,人間万事塞翁が馬。
行った先で【一生懸命やること】で新しい道が開けた瞬間でした。

挫折すること自体は,全然悪いことではありません。
そこから,どう頑張るかが大事なんだと思います。

尚,このスポーツ小売業を経験したことで今でもスポーツ商材に明るく,製品レビューなどの執筆業を定期的に行っています。

10.好きなことで生きていくということ

その間,陸上競技はこっそりと続けていました。
都内の陸上クラブチームに所属し,休みの日や早朝・深夜ちょっとした時間を使ってトレーニングを継続していました。

転機は2012年4月。
同陸上クラブが神奈川で事業をしたいというお話を伺いました。

当時既にフリーランスで仕事をしていた私はこれを担当したいと直訴。

現在のメイン事業につながる神奈川での陸上クラブ運営を開始します。

大小含めいくつか内部で異動もありましたが,現在のアスレティックトレーナー田子がこうして習熟されていきます。

(未だに『全国大会すら自力で出場したことのない無名選手』がよく陸上クラブを運営できているな,自分でもと思ってますw)

こうした【好きなことで生きていく】ということに対して,たまに「どうやったらなれるのか?」という事を聞かれます。

私のケースはここまで書いた通りなのですが,どう見てもいきなり今のように陸上競技とトレーナー業で生活していた…というわけではありませんよね?

学生時代から社会人になってもとにかく幅広く領域をカバーしていたことが今でも子ども~高齢者・初心者~アスリートクラスまで指導可能という【汎用性の高いアスレティックトレーナー】をつくる礎になっている訳です。

目先のことひとつひとつを全力でやる。
仕事を選ばずに少しずつ結果を出す。

一見遠回りが最短 な様な気がします。
結果は全て繋がっていくわけですから。

そして,やはりそれを続けていくにはそれなりのリスクと社会的責任を負う事になります。

こういったスポーツを生きる糧にするには,この業界はまだまだ未成熟です。

陸上競技にしても,フィットネス市場にしても昨今の少子高齢化や経済不況の中で,どう発展させていくかというのはこれからの我々の活動次第……ということになります。

つまり,ただ「トレーナーになる」ということだけを目標にするのではなく【そこから何を創り出したいか】という強い決意が無いと生き残っていくのは難しいような気がします。

私が今どんなことをこれから創り上げていきたいのかは,また別にお話したいと思います。

今はまだ夢の途中……

という訳です(笑)


神奈川での陸上クラブ創設時の初期メンバーたち。ここでの活動が現在の私のモチベーションを支えています

11.まとめ ~これから”トレーナー”になりたい人へ~

さて,全4回にわたって書き綴ってきたとあるATの経歴紹介でしたが,冒頭にも書いた通り「これからトレーナーになりたい」「スポーツに関わる仕事していきたい」と思っている人にとって少しは参考になる経歴紹介が出来たかと思います。

あくまでも私がトレーナーを目指してから15余年で感じたことをまとめてみます。

① トレーナーという業種は幅広く,最終的に何をしたいか・何が必要かはやってみないと分からない
② なんでもやってみる・やってみることには全力で取り組む
③ できるだけ早いうちから社会人として基本動作を身に付ける

こんな感じでしょうか(‘ω’)

専門学校・大学への進路選択,アルバイトや実習,就職(転職)からの独立までこれまで数々の選択を迫られることがありました。

私自身はそれほど器用な方ではなかったかもしれませんが,
やはり都度自分の置かれている状況をよくよく分析し,自分自身で舵を切った先で全力で突き進む……

それが私自身が納得できるものであれば,少なからず結果はついてくると思っています。


これからも汎用性の高い(なんでもやるともいう)
&日本一三段跳を楽しむアスレティックトレーナーとして精進していきます!

これからもトレーナー業界・スポーツ&フィットネス産業に従事する身として,
後世に少しでも価値のあるものを残していく事が次の目標のひとつです。

また自身の経験を通じて得た事を書きだしていきますので,今後ともお付き合いのほどよろしくお願い致します。

2020年4月吉日
田子政昌

田子 政昌

-たご まさあき-

パーソナルトレーナー、ランニングコーチ、かけっこ・陸上教室事業の運営、執筆業、モデル業など、幅広く活動中。2020 年にパーソナルトレーニングジム VITALIZE を設立。誰にでも【 わかりやすい 】 そして 【 楽しい 】 レッスンを常に心がけ、子どもから高齢者、運動初心者から日本代表アスリートレベルまで幅広くトレーニング指導を行っている。